事例研究「コア21」編 その1 [メディア掲載記事]

業界メディアに掲載された過去の記事から釘教育の研究事例を紹介します。
以下の記事は2004年6月号のプレイグラフに掲載されたものです。役職は当時のものです。


競合店の増台で瀕死の状態に落ち込む

東京都江戸川区の都営「船堀駅」には5店舗のホールがしのぎを削る。

「コア21」(白河秀夫社長)は、そのうちの1軒で総台数273台。営業歴は6年。現在運営するホールは同店のみ。

現場を預かる白河仁部長(31)は、パチンコ未経験から業界に参入して5年。社員6人、アルバイト16人で運営している。

無風状態だった駅前のパチンコ勢力地図が激変したのは今から2年前の8月。同ホールの一番の競合店が大幅な増台(523台)を果たした。

影響はすぐに現れた。2万個あった稼働は9月には1万5000個まで下がる。10月は1万ラインを割り9000個まで落ち込む。売り上げも300万円という地獄の月が2カ月ほど続いた。

馴染みの客からは「いつ潰れるの?  商売替えしたら」と屈辱的な言葉も浴びせられた。増台の余波で同業者からも一番最初に潰れるのは「コア21」というのが衆目の一致するところだった。

眠れない日が続いた。

一縷の望みを釘に託し朝まで叩いたが、歯止めはかからなかった。仲間の先輩からは「店の責任者が釘しか見ていないから稼働が上がる訳ない。もっと全体を見て分析しなければ」とアドバイスされた。

年末、地区のトップを切って新海物語を導入した。効果は絶大でパチンコの稼働が上向いてきた。2月なっても稼働は下がらなかった。この間、自店に足りないものを模索し、ライバル店に勝つ工夫を考え3月、リニューアルに打って出た。

「一番足らなかったのは従業員の意識でした。お金だけもらっていわれたことだけをやればいい、という社員が多かった。

会社を変えるにはトップが変わらないとダメということにも気づき、改装を機に『僕について来れない人は辞めてもいい』といったら、マネージャー、サブマネージャーなど社員6人中4人が辞めました。彼らが上に立っていたから、僕の考えもアルバイトに伝わっていないことが分かった。結果的にはこれで組織が入れ替わった」(白河部長)と新たな決意でリニューアルオープンした。

一番に潰れるといわれていた同ホールは生き残ったが、他の1店舗が閉店に追い込まれた。

つづく

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